月曜日の朝会で、部下の山田が言った。
「アラタさん、あのダッシュボード、もう手放せないです」
あのダッシュボード。HERP連携の採用KPIダッシュボード。候補者のパイプライン、書類通過率、面接から内定までのリードタイム、採用コスト。これまでスプレッドシートで手動集計していたデータが、リアルタイムで一画面に表示される。
それを作ったのは、外部のエンジニアでも、SaaSベンダーでもない。人事部のアラタだ。つまり、僕だ。
きっかけは3ヶ月前だった。
四半期の採用振り返りで、データの集計に丸2日かかった。HERPから候補者データをエクスポートして、Excelで整形して、ピボットテーブルを組んで、グラフを作って、パワポに貼り付ける。毎四半期、同じ作業を繰り返している。
HERP APIからデータを引っ張ってきて、自動でダッシュボードに表示するツールを作りたい。採用パイプラインの可視化、通過率の推移、ポジションごとの進捗。
いい構想ですね。HERPのAPIドキュメントを確認して、必要なエンドポイントを整理しましょう。フロントはAstroで、データ取得はサーバーサイドのAPIルートで処理する設計がいいと思います。
アラタ: 必要な指標を整理した。
- パイプライン概況(応募→書類→1次→2次→最終→内定→入社)
- ポジション別の通過率と平均リードタイム
- 週次/月次の応募数トレンド
- 採用コスト(エージェント費用 vs ダイレクト)
- 予実管理(採用計画 vs 実績)
人事を9年やってきたから、どの数字が意思決定に必要なのかは手に取るようにわかる。採用部長が月次報告で聞くこと、経営会議で必要になるデータ、現場マネージャーが知りたい進捗。全部、僕の頭の中にある。
問題は、それをコードに落とし込む方法を知らなかったことだ。半年前までは。
開発は2週間かかった。
APIの認証で詰まり、日付の処理でバグを出し、グラフライブラリの選定で迷った。でも、要件定義だけは迷わなかった。何を表示すべきかは、僕が一番よく知っている。
通過率のグラフ、職種ごとにフィルタリングできるようにしたい。エンジニアとビジネス職で通過率の傾向が全然違うから。
職種タグでフィルタリングする機能を追加しましょう。UIはドロップダウンセレクタで、選択に応じてグラフがリアクティブに更新される形でどうでしょう?
いいね。あと、リードタイムは中央値で見たい。平均だと外れ値に引っ張られるから。これは人事なら誰でも知ってる落とし穴。
ここだ。ここが、「人事がコードを書く」ことの意味だ。
エンジニアに発注したら「平均リードタイム」と実装されて終わりだったかもしれない。でも、人事は知っている。エグゼクティブ採用で半年かかるケースが一件あるだけで、平均値が跳ね上がる。中央値で見なければ、現場の実態は見えない。
ドメイン知識とコーディング能力が同じ人間の中にある。それがどれだけ強力なことか、作ってみて初めてわかった。
ダッシュボードを社内に公開したのは4月の半ばだった。
最初は僕だけが使っていた。次に、採用チームの3人が使い始めた。そして先月、隣の部署の人事マネージャーから「うちでも使えないか」と相談が来た。
山田(採用チーム): 四半期レポートの準備が2日→30分になりました 佐藤(人事マネージャー): 経営会議でリアルタイムデータを見せられるのが大きい 田中(採用チーム): パイプラインのボトルネックが可視化されて、面接官の調整がしやすくなった
ハッチにこの話をしたら、少し驚いた顔をした。
待て、それ社内で実際に使われてるのか?
うん。採用チーム全員と、隣の部署のマネージャーも。
お前さ、それ普通にプロダクト開発だぞ。ユーザーがいて、フィードバックがあって、改善してる。半年前にターミナル開いたやつのやることじゃない。
でも僕は思う。これは、半年前にターミナルを開いた人間だからこそ作れたものだ。
9年の人事経験がなければ、中央値で見るべきだとは気づかない。500回の面接経験がなければ、パイプラインのどこがボトルネックになりやすいか知らない。組織設計の経験がなければ、部署横断でデータを共有する意味がわからない。
コードを書く技術は、Claude Codeが補ってくれた。でも、何を作るべきかという判断は、9年のキャリアが教えてくれた。
人事がエンジニアリングツールを作る。それは矛盾じゃない。最も強力な組み合わせだ。
ドメインエキスパートが、自分でツールを作れる時代。それが2026年だ。